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京都府医師会社会保険研究委員会 答申
 京都府医師会 社会保険研究委員会では、平成20年6月から約2年間、16回にわたり、諮問事項である「医療における第三の道はあるのか」について検証を重ね、今般答申書の提出に至りました。本答申書は医療における諸問題について、委員各位から幅広い視点で適切な見解が示されております。

 是非、お読みいただき、混乱を極める医療現場を直視し、今後の医療の方向性等について考えていただきたいと思います。ここに本答申の「まとめ」部分を掲載させていただきました。委員会委員各位の考えが集約されておりますので、答申本体をお読みいただくに当たりご参照いただければ幸甚に存じます。

※社会保険研究委員会 答申全文はこちら→http://www.kyoto.med.or.jp/committees_report/pdf/2010_03-syaho.pdf


まとめ
 平成21年8月30日(日)に実施された第45回衆議院議員総選挙において示された日本国民の意思は、近年進んだ格差社会に対する本質的な是正を求めるものであった。崩れつつある国民皆保険制度を再生させ、進展する医療崩壊をくい止め、国民が安心して受療できる医療制度を再生することが求められている。しかし、900兆円にも上る国と地方の債務を抱える我が国において財源のことを抜きにして過ぎ去った過去へと単純に回帰することは許されない。ここに、戦後の経済成長を基盤とした国民皆保険制度に基づきながらも崩壊の危機にある現在の我が国の医療と2007年時点で4,566万人にも及ぶ無医療保険者を生んだ米国1)のような市場原理主義に立脚した医療の狭間で、「医療における第三の道はあるのか」を模索することの必要性が存在している。

 1997年5月2日から2007年6月27日まで約10年間、英国首相を務めたトニー・ブレアの政策が「第三の道」であったことは記憶に新しい。その「第三の道」とは、旧式の社会民主主義と新自由主義という二つの道を克服する道という意味であった2)。この英国ブレア政権においても行き過ぎた新自由主義によって制度疲労が認められたNational Health Serviceという国営医療の再建が模索された。すなわち、医療費は1997年の536億ポンドから2006年の1090億ポンドと倍増させ、その財源内訳としては政府分が1997年の450億ポンド(84.0%)から2006年の951億ポンド(87.3%)まで増加し、民間分は1997年の86億ポンド(16.0%)から2006年の139億ポンド(12.7%)となり割合ではむしろ減少した1)。他方で、医療サービス提供のあり方については、2003年に「結果に基づく支払方式」が導入され、増加する医療ニーズに対する効率化と生産性向上が図られている1)。特に、The National Institute for Clinical Excellence and Commission for Health Improvement(NICE)が設置され、科学的エビデンスに基づく医療の遂行が指導されることになった1)。加えて、最重要政策には教育が位置づけられたこと、そして、平等とは誰をも排除しないことであるという新たな平等の定義が生み出された2)。このことも参考にすれば、「医療における第三の道はあるのか」という問いに対しては「ある」という回答が導き出されると考える。

 すなわち、「医療費亡国論」3)ではなく、「医療立国論」4)といった狭い範囲にとどまるものでもなく、「社会保障立国論」の中に答えはある。例えば、市場原理主義に立脚した医療として批判に晒される米国においてさえ、医療費全体を抑制する政策はこれまでとられてこなかった1)。もちろん、医療費が膨張することが米国企業の従業員の医療保障コスト高を招き、国際競争力低下につながるという懸念は存在してきた。そんな米国における医療の無保険者の大部分は実は現役労働者世代におけるものであり、65歳以上の高齢者の98.1%はメディケアまたはメディケイドという公的保険でカバーされており、高齢者に対するセーフティネットは一定存在している1)。このような米国において、医療こそは米国経済の成長のエンジンであり、総合的に考えれば医療費増加はマクロ経済にとってプラスと考えられている1)。ただ、このことが高額な医療費を結果としてもたらし、民間保険会社の医療保険への加入の際の負担の多寡に応じたサービスしか提供されない実態と、HMO(Health Maintenance Organization)におけるゲート・キーパーによる受療抑制を常態化せしめるといった米国民にとって厳しい医療環境の原因となっている。米国の近年の医療の動向を見てみると、1980年代から新薬の登場や外来手術の普及、治療技術の進歩によって入院日数が短縮され、医療費収入の減少がもたらされ、病院単独経営では経済的に成り立たなくなったことに対する処方箋として、健康診断、予防、急性期治療、亜急性期治療、リハビリ、介護、在宅ケアに到るまでの地域住民が必要とするすべてのヘルスサービスを包括したIntegrated Healthcare Network(IHN)が非営利民間病院を中心に提供されるようになり、現在では公的病院にまで広がってきている1)。このIHNという考え方は前述の英国でも、先進国のカナダやオーストラリアでも広がりをみせており1)、医療だけでなく介護も含まれている。そして、これを基としてさらに障害者福祉等福祉全般まで含めた新たな枠組みを構成すれば、「社会保障立国論」の基礎とすることができると考える。

 これらの現状を踏まえた我が国における「医療における第三の道」は以下のように考えられる。

(1)まず、医療をめぐる枠組みとして、国民の立場から見れば、医療サービスに対する負担と医療サービスの受益という構造の均衡が必要である。国の立場から言えば、医療費の財源と医療サービスの提供費用の均衡が必要である。もちろん、前提として我が国の優れた医療制度である国民皆保険制度は守るべきである。国民皆保険制度は国民の誰をも排除しないという意味で英国のブレア政権が求めた新たな平等の定義2)に適った制度であるからである。そのために、国全体の歳入と歳出のバランスをとる中で、地域医療崩壊の根本原因となった医療費抑制政策を排し、必要な医療費財源を獲得し、医療へ投入するべきである。国民の我が国の医療費が高いという間違った認識5)を正し、国民全体が連帯の新たなる哲学6)を共有する必要がある。高度経済成長の時代であれば、医療費の増大に国として、国民として対応できたが、もはや高度経済成長時代の再来を望めない現状を冷静に認識し、現状の医療を含めた福祉の環境が低福祉・低負担か中福祉・低負担であるかの議論はあるにしても、少なくとも現状の医療レベルを守ろうとすれば、応分の国民負担を求める必要がある。もちろん、中福祉・中負担で良いのか、北欧諸国のような高福祉・高負担が良いのか更なる国民的論議が必要である。この時に忘れてならないのは、国民生活を守るために国民の健康権を確保することに医療の目的があるということである。デフレ不況下で税収の確保が難しく、他の財政支出との競合の中で相対的に財源をどう配分するのかという時に、国民の健康を絶対的な価値として位置づけ、医療への支出を優先するのか、それとも他の財政支出に健康以上の価値を位置づけるのかということである。国民がお金を使わないのも、老後の生活展望が不安であるからであり、旧社会保険庁の犯した年金不信を払拭する明確で明示的な唱道が国に求められる。そういう意味でも政策立案者でもある政治家に求められる責任はすこぶる大きく、政治の説明責任が求められている。負担の方法についても保険なのか税なのかという論議も存在している。現状が保険とは言いながら、税も投入されている訳であり、国や自治体に依存する性癖の強い国民性を考えると保険という共助システムを残しておくことは国民的連帯の観点から一定必要なのではないかと考える。また、国民的連帯を求めるためには、医師集団のみが医療費増加の恩恵を受けるのではなく、看護師等のコメディカルや事務職を含めた医療に関わる人々全てがその恩恵を受けるような制度設計が肝要である。すなわち、医師だけでなく医師以外の職種の雇用も増えることが必要である。このようにして医療界が安定することは医療を受療する国民の利益に直結することは自明の理である。他方で、現在の医療構造の中での非効率な部分や、そもそも医療として実施されているものの、その遂行に異論が存在しているターミナルケアへの医療費の過度の投入の是正等も必要である。在宅医療の推進が叫ばれてきたが、国民のほとんどの死亡場所が病院である現状からして国民が近親者を看取る場所として病院を好んで選んでいるにしても、ターミナルケアのあるべき姿について医療界は国民との間できちんとした論議をすべきである。

(2)そして、大きな枠組みの中で、崩壊しつつある地域医療提供体制の再構築が急務であることを鑑み、地域の現場からの再構築を試みることが必要である。地域の現場の個々の事象から、事象間の本質的な結合関係(因果関係)を推論し、結論として一般的原理を導く帰納法的に医療体制を考察していくことが肝要である。これまでの我が国のガバナンスの歴史を振り返ると、国においてトップダウン的に制度構築がなされ、全国津々浦々に普遍化されてきたが、そのようないわば演繹的方法論では異なる地域事情のために不適合を起こし、消化不良のため換骨奪胎化され、上手く機能してこなかったのではないかとの評価もあり得る。地域から考える医療の道こそが国民的合意を形成することが可能であり、我が国の「医療における第三の道」を拓いていくと考える。この中で、今一番大変な状況にある、いわば崩壊しつつある地域医療提供体制の中核を占める公的病院、特に自治体病院の改革が急務である。これまで、多くの自治体に金太郎飴のごとき総合病院が配置されてきたが、地理的な非都市圏における採算の取りにくい地域医療として、また都市圏や非都市圏といった地理的条件に関わらず非採算分野である小児科や救急等について民間病院ではできないことを補足してきたという点では大きな意味があったと言える。しかし、右肩上がりの経済成長が終わった後も、近隣地域との整合性を考慮しないまま、あまりに無節操に医療供給体制を拡大してきたことは問題がないとは言えない。財政力のない現在の我が国の地方自治体においては、現在設定されている二次医療圏とは別に新しい広域医療圏単位で疾病の発生率や有病率、更には鉄道や道路という医療へのアクセス性も考慮して、近接した小地域へ重複した医療資源を投入することは避けるという科学に立脚した医療資源の最適配分のガバナンスを行うべきである。このために、地域という単位(広域医療圏単位)の広さと人口規模が医療にとっても至適規模であり、住民の生活ともできるだけ一致した生活圏の下に集約化できるように見直すことが必要である。このことは、魅力ある地域づくりの根本的な論議を要求することであり、立ち去り型サボタージュ7)と呼ばれる過疎地域の自治体病院からの都会の医療機関への医師の異動への本質的な対応ともなるはずである。他方で、すべてのヘルスサービスを包括したIHN1)を実施するために、また、現状の二次医療圏よりも広域化するであろう広域医療圏に対する地域住民不安をなくすためにも、医療提供者はもっと積極的に保健(予防医療)に関わることが可能なようにシステムを変えていく必要がある。もちろん、現在でも地域の医師会レベルでの市町村事業-予防接種、健診・検診、介護事業-への関与もあり、病院における人間ドックも実施されているが、我が国は医療(病院と診療所)と保健(保健所・保健センター等行政)が乖離した制度であると言わざるを得ない。管理的仕事は行政機関に任せるにしても、健診・検診等の予防医療や介護といった個人の一人ひとりの健康管理に関わる仕事は、医療の中で主体的に実施することができるようにシステムが変更されるべきである。その中で、医師は保健師、看護師、栄養士、作業療法士、理学療法士等の専門職と共同して、医療と保健と介護の質の担保を図る中核となるべきである。このことは、自治体病院に限らず、民間病院や開業医の診療所においても、同等に位置づけられるべきものであり、この医療と保健と介護の一体化は、IHNの方向性とも一致するものである。

(3)何をおいても、わが国の医療の現状に対する正しい理解を広め、以上の様な新しい方向性について、国民的合意の中で進めることが肝要である。そのためには、診察室や手術場という閉鎖空間で行われている医療について、開示できるものはきちんと開示して、国民の理解が得られるようにしなければならない。医療は、提供者である医師・医療機関と受療者である患者との間で情報の非対称性があり、圧倒的に提供者が豊富で詳細な 情報を保有しているので、受療者がともすれば不利な状況が作られやすいというのは事実である。医療もその中で費用が発生し、その費用負担に保険料や税金だけでなく受療者の直接の支払いも発生するので、近年ではサービス業として位置づけ、「患者様」という言葉が一部の医療機関で使用されている。しかし、これは行き過ぎた市場原理主義に基づく考え方であり、逆にモンスター・ペイシェントの発生を後押しすることの一因となっている。医師は医学という科学を基礎として、あくまでも科学的に、理性的に社会と向き合うべきである。現在の卒前・卒後の医学教育が少ない医学部教員・研修指定病院の指導医によって担われているという非常に貧弱な教育環境を改革し、医師だけでなく医学の境界領域も含めて他分野の教員・指導者も増員し、医学生の時期から80歳代までの医師のライフサイクルに対する長期的・縦断的・計画的な教育への投資を行い、医師の持てる知識と経験に裏打ちされた技量を有効に活かすようにしていくべきである。他方で、医師個人は自己研鑽と生涯教育を受けることによって患者にとっての最善の医療を提供しなければならない。そして、難しい最新の医学・医療を解り易く説明する説明責任を果たすことができるように努力すると同時に自ら医療の背景にある様々の情報を開示し、医師集団(医育機関・医師会)として医学部以外の識者や医学界以外の第三者の参画を得て科学に基づいた制度設計・医療政策を進め、オープンな論議を経て、国民と共有しながら変革を進めていくことである。そのために、医師が単に病院や診療所の診察室の中で患者に対応するだけでなく、国民と同じ生活者として地域の中で顔の見える人間として、人と人との繋がりの中で信頼に足る確固たる立場を確立することが必要である。科学的な原理・原則をかたくなに守りながらも、平易に優しく語る平成の「赤ひげ」に一人ひとりの医師が、そして集団としての医師会がなっていかなければならない。

 以上のように、我が国が目指す負担と受益という枠組みの方向性を明らかにし、地域の現場から、患者・地域住民の思いを科学して、国民の理解を得ながら積み上げるようにして、国民皆保険に基づく予防から診断、治療、リハビリテーション、介護まで、切れ目のない医療を再構築していくことが「医療における第三の道」である。これは、経済不況に陥る前の昭和の時代の古い我が国の医療体制でもなく、市場原理主義に立脚した医療体制でもない、新たな第三の道である。

参考文献
1)松山幸弘、地域医療提供体制改革(IHN化)の国際比較、Economic Review 2009.1、26-44.
2)アンソニー・ギデンズ著、佐和隆光訳、第三の道-効率と公正の新たな同盟-、日本経済新聞社、1999.
3)吉村仁、医療費をめぐる情勢と対応に関する私の考え方、社会保険旬報、1424、12-14、1983.
4)大村昭人、医療立国論、日刊工業新聞、2007.
5)西村周三、医療と福祉の経済システム、ちくま新書、1997.
6)ピエール・ロザンヴァロン著、北垣徹訳、連帯の新たなる哲学-福祉国家再考-、勁草書房、2006.
7)小松秀樹、医療崩壊-「立ち去り型サボタージュ」とは何か-、朝日新聞社、2006.




| ご意見 (0) | 2010.05.07, Friday 11:03 AM |



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