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事務局からの連絡

保険医療部より

「日医 ピンチはチャンス」を読んで 11月27日 副会長 安達 秀樹

1)先ず、第一に、私たちには「欲張り村の村長」か「赤ひげ」しか選択肢はないのでしょうか。
 こんな前提でしか論じていただけないことに、ほとんど絶望的な感じがします。大新聞の担当論説委員にして、このレベルから論説をスタートさせるのだということを知る意味では、今回のオピニオンは無駄ではなかったのかもしれませんが。
「欲張り村の村長」は、かっての本会の会長の造語です。この論説にも述べられているとおり、「医療費をもっと上げろのスローガンなら日医も割れることはあるまい」という主に開業医の会員気質を表現したものです。でもこれは冷静に考えてみれば、非難されるべきことでしょうか。ひとつの職能集団が、自らの技能を経済的により高く評価して欲しいと思うのは当然のことではないでしょうか。それを、「医師は日本において経営者層とともに高所得者の代表選手」という事実としてのデータに結びつけて、お医者さんは「欲張り村の村長」という印象を持たれても、仕方がないのではないか、というある種のバッシング的な悪意を持った言葉に読み替えてしまったのはまさに貴方達旧式のマスコミの仕業ではなかったですかと、我々は思っているのです。
このことについて、もう少し我々の反論を整理しておきましょう。
i)医療費を構成する、薬、医療材料、医療技術、の内、前二者の価格は先進諸国との比較において、決して安価ではありません。にもかかわらず、総医療費の GDPに対する割合では、我国は先進国間では最下位に位置します。つまり、医療技術料が安価であるということになります。いろいろな現実の治療における技術料の比較は、方々で例示されています。
ii)我国の患者一人当たりの年間受診回数は、先進諸国間で、第一位です。技術料は安価ですが、受診回数が多いことが、我々開業医の所得を押し上げていますが、その内容についてはもっときめの細かな分析が必要です。長くなりますからここでは、総所得と純利益は違うという当たり前のことだけを申し上げておきます。
iii)いずれにせよ、我々の技術料は国際比較においても安価で画一的であり、この事実がなくして、国民皆保険制度は実現しなかったし、この制度が存在したことが「WHOの評価する世界一の健康長寿国家」の実現に大きく貢献してきたことは否定できません。そして、もう一度言いますが、日本の総医療費は安価なのです。
2) 迷走する論理―オズワルドの銃弾のようにー
 この論説を読んで、全体を通して感じる違和感を一言で表現するとこういうことになりました。「ケネデイを暗殺したとされているオズワルドの放った一発の銃弾は、ケネデイを含む3人の一直線上に居ない被弾者に、迷走しながら傷を与えたことになるのだ」という映画JFKの中の有名な法廷シーンでのケビンコスナー演じる地方検事のせりふを真っ先に思い出してしまいました。
先ず、この論説の流れに沿って順を追ってその違和感の本質を具体的に説明してみようと思います。
 
i)「小泉政権の医療費抑制政策は、800兆円の借金を抱える日本の財政状況からやむを得ない」という意見について
 先ず、本当に国の借金は800兆円なのでしょうか。端的に言えば、一方に資産の載っていないバランスシートってなんなんですかということになるのでしょうか。借金状態であるとすればその総額がいくらであるのかは財政縮減の規模を決める上で最も初歩的に必要な資料であるはずです。マスコミの皆さんが皆ご存知のはずのこの疑問に触れないまま、「小泉時代の医療費縮減策はやむを得なかった」と言われては医療制度は立つ瀬がありません。更に、国の医療費への負担は一般会計からの支出であり、そのプライマリイバランスの赤字解消を目的とする抑制策であったわけですが、一般会計の数倍の規模といわれる特別会計になんら言及しないまま、「やむを得ない」と結論づけられることにも納得はできません。もう一つ大切なことがあります。国家財政の縮減が必要になった場合、どの分野からどの程度に削減をするのかという優先順位の議論は最低限あってしかるべきではないでしょうか。特に、国民皆保険制度の下で運用されている我国の医療提供体制が社会保障のベースメントとして果たしている役割を考えれば、これをどう取り扱うかは人口減少に向かう我国の将来の社会体制をどんな形にするのかという点で、重要な因子の一つであるはずです。それが国民的議論に供されることもなく、「日本の財政状況からやむを得ない」でよいのでしょうか。
 
ii)さて、いよいよ論理の迷走についてです。2006年「骨太の方針」を受けて、更なる医療費の削減に対しては、一転して「国民皆保険制度が保障してきた医療提供体制の維持が心配になり」けれどもそれは、「国民にとって選択の時」なのだそうです。
つまり、「小泉時代の削減策はやむを得ないが、今後の更なる削減策は心配」ということで、「削減」自体が問題なのではなく、その程度が問題ということなのでしょうか。実はこの点は我々も最も知りたいことの一つです。私達はそうは思っていないのですが、もしこれが程度の問題ということなのであれば、大新聞の論説委員が言われることですからきっと我々の知らないデータをお持ちなのでしょう。分岐点をぜひ教えていただきたいと思います。もう一つは、「国民にとって選択の時」とのことですが、仮に国民が医療費削減の政策に反対という選択をした場合は、その選択の意思はどう伝えればよいのでしょうか。国民はこれまで一度も政権から、医療費削減の是非について信を問われたことはありません。「選択の時」という表現は、貴社の長期に亘る連載「医療、選択の時」を意識してのことと推察します。素晴らしい連載でした。ニュートラルなスタンスで国民に判断の材料をきっちりと伝えられていたと思います。何故、この連載が平成14年の診療報酬マイナス改定の直後から始まらなかったのでしょうか。やはり、「小泉時代の削減策まではやむを得ない」というお考えが貴社にあったからなのでしょうか。この連載が一年早く始まっていたら、昨年の9月11日の選挙は、郵政民営化の是非だけの選挙にはならなかったのではないでしょうか。言いたいことは、「選択の時」などと放り出しておくのではなくて、マスコミとしての責務は果たしていただきたいということです。
 
iii)最後に、極めつけの迷走についてです。
「英国のサッチャー政権による医療費抑制政策がもたらした医療提供体制への深刻な影響」の指摘がされ、更に「ブレア政権がその回復のために医療費予算の増額を行ってもなかなか元に戻らない」という現在の事実にも言及されています。そしてその後段では、我国の現在の医師不足(地方、小児科、産科など)は、「医療費抑制策の結果、病院に余裕が無くなったことが大きい」とも述べておられます。にも拘らず、結論はとんでもない方向へ曲がっていきます。厚労省がとる可能性のある、ある種の強制的な施策を推定した後、これらこそ日医が自主的に行うべきではないかという恐らくアドバイスのようです。つまり、「医療費抑制政策の撤回を求める」主張に国民の理解を得るためには、「地方へ派遣する医師を日医が決める」くらいのことをするべきだと結ばれています。そして、前者が「欲張り村の村長」であり、後者が「赤ひげ」的医師会への変貌ということになっているようです。
幾つかの誤解があると思います。先ず、「医療費の抑制政策を転換すべき」というのは、確かに私達の主張ですが、我々は特にこの主張が「欲張り村の村長」としての主張だとは思っていないということです。ご指摘の通り、今日の医療提供体制の危機的状況の主たる原因は「病院に余裕が無いこと」ですが、それは現在病院で行われる医療つまり主に20世紀の後半に大きく発達した医療技術の診療報酬体系の中での評価が低いことによるものです。先進諸外国との比較でもこのことは明らかです。そしてこの低評価が、先進諸外国間でも最低の、医療費の対GDP比を可能にしています。お解かりいただけるでしょうか。我国の低医療費政策は今に始まったことではないのです。それにぎりぎりのところで耐えてきた体制に、崩壊への引き金になる打撃を与えたのが、小泉政権の政策でした。ii)の項で、「小泉政権時代の抑制策はやむを得なかった」というご意見に対して、「私達はそうは思わない」と言ったのは、こういうことです。せっかく英国の医療の現状に言及されたのですから、その困難な状況の原因についてもう少し掘り下げて分析をしていただきたかったと思います。詳述すれば膨大な資料になりますが、ここでは端的に言えば、その大きな原因の一つは、医療従事者のモチベーションの低下にあるのではないでしょうか。ぎりぎりのところで医療従事者としての倫理観で支えてきたものが、更に過酷な扱いをすることによって一旦壊れてしまうと、容易に元には戻らないということを、ブレア政権の苦悩が示しています。「欲張り村の村長」という表現でひとくくりにしてバッシング的に批判しておけば済む問題ではないと思います。サービスの質を求めるならそれに見合う人材が必要であり、その人材を集めるためには社会全体の状態の中で妥当な経済的処遇が必要であることは、どの分野においても当然のことです。英国の失敗は経済論に偏りすぎた医療費の取り扱いをしてしまったことにあります。私達は「今、日本はその轍を踏もうとしているのではないですか」と申し上げているのです。
 
次に、特定の診療科や地方への医師の配置についてのなんらかの強制策は、実際に行うとすると行政にとっても大変な問題であろうと思います。これも議論すれば大変長くなりますが、簡単に言えば基本的人権の一部である「職業選択の自由」に抵触しかねない問題を生じることになるからです。これまでも、現在の日本の医師を国民皆保険制度に雇用されている公務員のようにみなす論調が散見されました。まさかこの論説がそのような誤解に基づいているとは思いませんが、従って同様の理由でせっかくのお勧めではありますが、「日医が、会員に地方赴任を指示する」などということは、全くムチャな話なのです。勿論、今、私達は日医としても各都道府県医師会単位でも、ドクターバンクの立ち上げや会員への呼びかけなど少しでもこの待ったなしの喫緊の問題の解消に寄与できるような活動を既に行っていますが、基本的に我々にできることは、voluntaryの喚起でしかありません。
 
最後に、「赤ひげ」たれ、とのご指摘についてです。「赤ひげ」は、医療がまだきわめて未発達であった時代の一種の社会運動家的活動をどうしてもイメージさせますが、それと我々が持っている職業倫理規範としてのいわば「ヒポクラテスの誓い」とは全く別のものだということを、先ず申し上げます。この二つの混同はひょっとすると我々医師の間にもかなり広く存在しているのかもしれません。例えば、都道府県医師会の代議員会決議には殆ど判で押したように、「国民皆保険制度の堅持」のスローガンが並びます。「ヒポクラテスの誓い」から必然的に演繹されるものと考えてのスローガンである可能性は否定できません。何故かと言いますと、私達は、この明らかな政治的主張=大きな社会保障、大きな政府、を政治的に主張するということについて、その取捨の議論すら一度もしたことは無いからです。これについても様々な議論はあるでしょうが、ここでは「皆保険制度の堅持がヒポクラテスの誓いの必然的帰結であるのならば、世界の先進国の医療提供体制は一様に皆保険制度型であるはずだ」ということを指摘するに止めておきましょう。いずれにせよ現在の医療制度を取り巻く現状の中で「赤ひげ」たろうとすれば、それは現政権の小さな政府型の政策のなかでの社会保障の取り扱いに異を唱えなければなりません。それは、日医が「地方への医師の赴任を指示する」というような一部分の問題ではなくて、しっかりした相互理解の下で、我々とマスコミの皆さんが強いスクラムを組むことでしか実現しないのではないでしょうか。
※日医ニュース NO.1084 オピニオン 「日医 ピンチはチャンス」
(梶本 章 氏 朝日新聞論説委員)
原文については、以下のアドレスをクリックしてください。直接リンクしてあります。
 
http://www.med.or.jp/nichinews/n181105n.html
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